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2022 holiday collection
COLOR OF LOVE
最果タヒ
GREEN BEAUTY COMMUNITY
COLLABORATION
すべての色は光

ジョンマスターオーガニック2022年ホリデーのテーマは“COLOR OF LOVE”。人それぞれに個性があり、さまざまな愛の形や表現があることを尊重するという想いを込めた言葉です。
私たちは、SNSだけでコミュニケーションが成立し、キャッチーな言葉が瞬く間に消費されていく今だからこそ、自由な発想を自分らしい言葉で表現することを大切にしたいと考え、みずみずしい現代的な感性で言葉を紡いでいる詩人の最果タヒさんに詩の書き下ろしを依頼。そして生まれたのが、“COLOR OF LOVE”を象徴する6つのカラーをモチーフにした詩とコフレが調和した、特別なホリデーギフトです。
“コスメと詩を贈るギフト”という今までにないコラボレーションに参加した最果タヒさんに、創作や言葉についての想いを聞きました。

最果タヒ

最果タヒ (サイハテ タヒ)

最果タヒ (サイハテ タヒ)

詩人。1986年生まれ。中原中也賞や現代詩花椿賞などを受賞。
主な詩集に『夜空はいつでも最高密度の青色だ』『天国と、とてつもない暇』『さっきまでは薔薇だったぼく』などがある。

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“美しさ”と“詩”の関係

――今回のコラボレーションに参加された理由をお聞かせください。

実は以前からコスメブランドとコラボレーションをしたいと思っていました。“美しくなること”は、“正解がない”という点で詩と通じるものがあると感じて興味があったからです。

美しくなることは、スタイルに合ったものを着るとかムダ毛を処理するとか、いろんな正解があるように一般的には思われていますが、どうなりたいか何を美しいと感じるかは人それぞれで、本当の正解はありません。そして自分にとって美しさとは何か、自分はどうなりたいか、ということさえ本当はとても“あいまい”なものです。自身の顔や表情が実際にどう見えているかは、周囲の人よりも本人の方が分かっていないですし、1、2週間後にどうなっているか、ほんの一歩先の姿でさえもよくわからない。そのコントロールしきれていない自分の外見の“あいまいさ”や、なりたい姿の“正解のなさ”は、けれどどこまでも自分を変えていける可能性や、未来の広がりを感じさせるものでもあります。自分を知りたいと思うこと、こうしたらどうかなといくつもの選択を試してみること、そうやって美しくなりたいという想いと共に自由に生きていけることが、どんな正解より美しいのかなと思うのです。

1週間後の自分の姿を想像して楽しみにできるというのは幸せなことであって、その未来を見つめる感覚を言葉にすると“美しくなりたい、きれいになりたい”なのだと思います。

――その“美しくなりたい”と同じように、詩にも正解はないんですね。

他人が決める絶対的な価値や、正解の言葉が入り込む隙がないのが詩だと私は思っています。詩を書いた人も見ていない情景を、読んだ人が見て、自分だけの言葉にする瞬間が尊い。その人がその時間を生きていないと見つけられない瞬間です。こうした詩の感覚と“美しくなりたい”という感覚はとても近いと思います。

だからこそ人が自分をきれいにするために使うものについて詩を書きたいと思っていました。今回はお話をいただいてすごくうれしかったです。

――ジョンマスターオーガニックの製品を使ってどう思われましたか?

オーガニック製品は誰かのためではなく、自分のために髪や肌をいたわるものであること、そしてその向こうにあるものについて考えるきっかけになるものだということを実感しました。コスメは効果を期待して最良の方法を選ぶ、というように目的に一直線に向かいがちですが、そうした単なる効率ではなくて、自分の気持ちとしてどうしたいか、改めて選んだり悩むことがすごく個人的な時間になりそれが楽しかったです。髪の仕上がりや、香りの心地よさなどを通じて、自分にポジティブな興味がわきましたしそれもとても嬉しく思いました。

――コスメを使った実感を詩作にどう生かされましたか?

使う楽しさを自分個人のものにできたことを、書く時にも大事にしました。また、“美しい”や“きれい”という言葉をたくさん使ったのですが、それが一番自由な言葉に見えるようにしたいと思って書いていました。髪や肌が光に当たるときの輝き、光の反射など、そのもの自身の放つ美しさも大切にしています。

言葉は読む人によってとらえ方が違っていいと思っているので、どう伝えるかをはっきり決めないことにしていますが、きれいになるということをポジティブすぎる言葉にしない、世の中が決めている“きれい”に従わないということは考えて書きました。

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言葉の力とは

――最果さんの“言葉”に対する考えをお聞かせください。

“言葉”は皆で共有して使っているものです。自分だけのために生まれた言葉ではなくて、みんなが同じ言葉を使っている。でもそれぞれに生きてきた人生は違っていて、思うこともだから全く違っていて、一つの言葉に個々が気持ちを当てはめていくことって無理があると思っています。それでも効率よく思いや情報を伝えることが、コミュニケーションの基本とされていますから、皆これが自分の感覚に近いかなと感じた言葉を、とりあえずピックアップして使っている。そのため、逆に言葉に自分を合わせてしまうことになり、それが多くの人が言葉に疲れる原因になっていると感じます。

――言葉に自分を合わせてしまう苦しさから自由になるにはどうしたらいいでしょうか?

私はそういう苦しさを学生時代に感じていた時に詩に出会いました。詩は、はっきりと「伝えたいこと」を書いているものではなくて、むしろ読む人の「言葉にはしようがないこと」にまで届くように書かれているのだと当時思いました。詩に触れると、言葉そのものにすごく自由さを感じられます。今でも詩を書いているとそのような自由さを感じ取ることができますし、そして読む人が感じている言葉の苦しさがほどけていくような瞬間が、自分の詩によって生まれたらいいなとも思っています。

詩を書いていると、言葉で誰かに何かを伝えたい、気持ちを共有したいとかではなく、言葉そのものに身をゆだねる瞬間があります。そうすると、自分の意図してなかった言葉が不意に生まれたりもします。でもそれが案外、考えて考えて探した言葉よりしっくりくるものだったりもする。“言葉はしばりつけてくるものだ”という感覚を、“言葉によって自分の知らないところまで自由にいける感覚”にひっくり返していける楽しさがあるんです。

人は自身の考えていることがすべてわかっているわけではなく、どこかに知らない自分がいたりする。でもそれを無視して、なかったことにして生きていこうとするととても苦しい。自分の書いた詩が、読む人のそうしたあいまいなところに少しだけ光を当てられたらいいなと思います。何がそこにあるのか答えを出したいというより、「何かが私の中にはあるんだ」って、感触を確かめられるようなそんなことができたらいいなって。

――詩は誰かに自分の思いを伝えるために書くわけではない、もっと自由な言葉の世界なんですね。

読む人が「なんかこの詩がすごく好きだなあ」と思う瞬間があれば、それはその人だけの詩になった、ってことだと思っています。その人の生活やその人の中にある曖昧なものを通して詩が読まれていて、その詩がその人のあいまいさと重なって完成したように思えるんです。「こういう気持ちになりました」と読者の方に思いもよらない感想を伝えられると、とてもうれしいです。

ですから創作のときは何かを書こうとか、こういうメッセージを込めようとかは考えないようにしています。私が言葉から自由でないと、自由な手触りの作品にはならないのかなと思うのです。その結果、自分が知らないところまでいけたり、思ってもいなかった一文にたどり着いたりしたとき、私自身も言葉を改めて好きだと思うことができます。

――ネットには情報があふれ、SNSでは言葉が量産されてあっという間に消えていく今の時代において、“言葉の力”というものをどう思われますか?

言葉の力にはポジティブな面もありますが、書く仕事をしていると言葉は怖いとも感じます。自分にぴったりの言葉がないのに、「私はこう思います」と言ってしまうと、自分の中にあるものではなくそちらが正解になってしまう。言った瞬間にそちらが本心なのかなと自ら思ってしまうんです。人に悪く言われたときも、やはりその言葉のパワーに負けてしまい、そうかもしれないと思わされてしまいます。

――言葉は口に出すと自分がそれに支配される怖い面があるということですね。では言葉のポジティブな力は、どのように実感することができるでしょうか。

人は皆同じような生活をしていても一人一人違います。でも自分は自分でしかない、ほかの人と完全に同じものは持っていないんだということを、忘れないようにするのはひどく難しいものです。そんなときに詩や写真や絵を見て、「ほかの人にはそう見えないかもしれないけど私にはこう見えた」という言葉を残していくことができれば、本来の自分という場所に戻って来られる。うまく書けなくてもよくて、むしろどこまで言葉を重ねてもいいから、言い直したり矛盾してもいいから、本当に書きたいことを書こうとし続けて言葉を探すこと。もしくは誰かと話すこと。うまく伝えようとかではなくて、言葉を探しながら話す自分を待ってくれる人と会話をすること。そうやって言葉が自分のために生きる瞬間があれば、「これだ!」と思う答えに辿り着かなくても、自分と言葉をあらためて自由にすることができるって思います。これもまた言葉の力であり、ポジティブな一面だと思うんです。

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今回のコラボレーションについて

――私的な作品を書かれるときと、今回のようにテーマのあるコラボレーションでは創作の手法に違いはあるのでしょうか?

自由に作品を書くときも、最初からまっさらというわけではないんです。そのとき目の前にある情景が詩作のきっかけになったりします。例えば、冬のある日に喫茶店の2階席に座っていたら、窓からバスの光が見えて、それが氷の入れ物のように見えたということとか。無になって創作に入り込む最初のトリガーみたいなものです。ただ、無になるというのは何も考えないということではなく、見えているもの聞こえているものにすべてゆだねるような感覚が大きいです。情景を目の前にして書きたい言葉が浮かんできたら、伝わるかどうかは考えず、それをそのままぱっと書く。

今回は“目の前の風景”が、自分をいたわることやきれいになること、また冬の情景やホリデーのテーマだったりしただけで、創作過程は同じです。とはいえ、これまでちゃんと見てなかったもの、例えば、なりたい髪や好きな香りについてあらためて考える機会になりましたし、初めての角度から世界を見て書けたので新鮮でした。

――今回このコフレで初めて現代詩に触れたという方もいると思いますが、このような詩との出会い方についてどう思われますか?最果さんの場合はどうでしたか?

私の詩との出会いは、読むよりも書く方が先でした。思いつくままに自由にブログで言葉を綴っているうちに、自然と詩ができあがっていった感じです。そういうものを作品といっていいんだと知ってだいぶ気が楽になりましたね。いろいろな詩を読み始めたのはそれからです。

詩はどうしても「詩を読むぞ」と意識して向き合うと、「作者の言いたいことはなんだろう」と読解しようとしてしまうところがあるので、もっと不意に出会う時間があるといいなって昔から思っていました。たとえば街のポスターなどに書かれている、とか。読んでから「え?何だろうこれ?」となりながら、それでも心を揺さぶられるような出会いが、詩そのものの自由さを一番感じ取れるんじゃないかなって。今回のコフレもまた、日常の中に詩が混ざり込んでいるので、不意に詩の言葉が目に入る瞬間が生まれたらそれはとても素敵だなって思います。

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